最近、「魔都鎌倉ものがたり」を読んでいる。
まだ最初の方だけど、一つ気になったことがあったので、書いてみる。

仏像とか観音像とか、アルカイックスマイルをしている像って区別がつきにくいんだけど、
どうやら手の形で判別がつくらしい。

鎌倉はお寺とかが多いから、そんな話が身近みたい。
で、観音像の右手、ただまっすぐ指を伸ばしているやつは「施無畏の印」というらしい。

むいは漢字で書くと実は無畏なんだけど、
(いろいろ事情があって・・・)
まさかそんな意味があるなんて知らなかった。

あとで更新します。

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無畏というのは、畏(おそ)れない、つまり
恐がらないということなんです。
怖がらないことを施す。無畏施。

お坊さんは畏れる気持ちに対して、畏れないように
カウンセリングをする役目があったようです。

観音像の指をまっすぐ伸ばした手は
全てを受け止めるための手。
ボクシングのミットのようなもんでしょうか。

なるほどなぁ。

自分の中からでてきたこの言葉にそういう意味がこめられていることが、
何か敬虔な気持ちにさせられる出来事でした。

う〜ん、カウンセラーにでもなるかな。
否、それは形を変え、いろいろな事象に
なっていると思う。

では、俺に何ができるのだろうか・・・

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